ROCK GITANO - PORTRAIT
ロック・ジターノ(Rock Gitano)はバルカン半島のビート音楽とジプシー・パンクをとくに好むスイス・チューリッヒ出身のディスク・ジョッキ。少数民族のスイス・イェニシェの出身で、幼年期はサーカス団とともに移動生活をした。すでにそのころから音楽、とりわけ移動生活者の音楽にぞっこん。
ロック・ジターノのDJとしてのキャリアは1990年代の初頭、チューリッヒのエレクトロ音楽界からスタートした。その当時から彼はバルカン音楽とジプシー音楽に熱中。もっとも当時はそのような音楽がクラブでまだ拒否される対象、そのため友人の誕生パーティーなどだけで自分好みの音楽を聴かすことができた。彼の曲組み合わせは好評を博したので、じきにクラブからも出演依頼が届くようになった。
それ以来、ロック・ジターノはチューリッヒのみならずスイスの全土、あるいはベルリン、ミュンヘンやロンドンなど国外の都市でもいくつものクラブに定期出演するようになった。アメリカのジプシー・パンク・バンド、ゴーゴル・ボールデロやチューリッヒのジプシー・パンク・バンド、コンボ・パルコ・ムスキがツアーをするときの専属DJでもある。
ロック・ジターノ自身の言葉を借りれば、バルカン半島のビート音楽を聴くことで、それぞれの曲に含まれている哲学と伝統を組み取るだけでなく、その異なる演奏スタイルと激しい感情も受け止めてほしいという。彼の選曲はジプシー、パンク、スカ、ディスコ、ラップ、クレズマー、エレクトロ、スウィング、ギリシャ・ホットステップやドラム・ベースなど、音楽の垣根を乗り越えたカラフルで煮えたぎるようなセットである。
ロック・ジターノという芸名を彼に授けたのは、彼にはじめてバルカン音楽の出演依頼をしたときの主催者、クロアチア・ザグレブ出身のゴーラン・ポットコンヤック。移動生活者というロック・ジターノの生活史を知っていた彼は、それ以外の芸名は、ロック・ジターノにあり得ないと考えた。ゴーゴル・ボールデロのバンドリーダー、ユージン・ハッツに口ひげが付き物なのと同じように、ロック・ジターノはバルカン音楽に欠かせない存在、チューリッヒの人びとはそう確信している。
ロック・ジターノは2016年にはじめてのCDを制作した。さまざまな曲を組み合わせて編集したCDのタイトルは「パンデモニウム・ジターノ」、つまり「伏魔殿ジターノ」。このCDに登場するバンドはパルコ・ムスキ(スイス)、ブーム・パム(イスラエル)、ゴーゴル・ボールデロ(アメリカ)、ルッスカヤ(オーストリア)など、そのほかもにも多数。
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Text: Robert Lippuner / Gypsy Music Network
Translation: Martin Kaneko